2019年11月、日本女子プロ野球リーグは10年目のシーズンを終えた。
累積投資額、100億円。退団選手は全体の半分以上、36名。
「女子プロ野球は終わった」
「日本に女子野球の文化を根付かせるのは無謀だった」
ネットニュースや週刊誌は連日のように報じた。
ファンからも、諦めの声が漏れていた。
しかし翌月、リーグの創設者は存続を発表した。
10年間語られなかった、その切望が明かされる。
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本書の読みどころ
本書の著者(女子プロ野球リーグ創設者)が女子硬式野球と出会ったのは2007年。
兵庫県丹波市の球場で開かれていた全国大会だった。
楽しそうに、嬉しそうに、全力で野球をプレーする彼女たちの姿に感動するも、
試合後、彼女たちが皆一様に号泣していた本当の理由を知り……。
2010年、女子プロ野球リーグが開幕。
しかし、その知名度の低さ、競技人口の少なさから集客はおろか、
球場を抑えることさえ難しい状況が続く。
プロスポーツ事業に関してはまったくの「素人」だった運営スタッフと選手たちは、
認知度向上のために東奔西走する……。
選手と運営スタッフ、それぞれぶつかり合いながらもともに成長してきた女子プロ野球リーグ。
しかし、黒字化ができないままとうとう累積投資額は100億円を超えてしまう。
さらに、病気による創設者(リーダー)不在、半数以上の退団、週刊誌報道など、
次々に試練が襲いかかる。存続か、撤退か-。
創設者が女子野球に願う真の想いとは……。
#1 人生最後の野球
「でも、これで本当にもう最後。終わりやねん。あの子らにとっては、野球が終わってしまうねん。この丹波で、人生最後の試合をして、おしまいや」
この言葉は私に大きな衝撃を与えました。
ここにいる人たちは、選手も監督も保護者も、みんなそのことがわかっているのです。これで最後だとわかっているからこそ、本気で、必死で、プレーをしたり応援をしたりしているのです。それを思うと胸が強く痛みました。
「それだけ好きなのに、ずっとは続けられないんですか……」
「女の子が野球をするってことは、あんたが思うより厳しいもんなんや」
おじさんの言葉を聞いて、いくつかの記憶が蘇りました。祖母と過ごした貧乏な日々。脳に大怪我を負いスポーツができなくなった中学生時代。脳腫瘍が発覚し、せっかく合格した大学にも、1日も行けなかったこと。手術の傷跡が激しかった私の顔を、異物を見るような目で見られた社会人時代……。
自分の力では、どうしようもないことがある。
その絶望感を私は知っていました。
「どうにか……どうにかならないもんですかね……」
#2 好きだから、ただそれだけ
「私は短大を卒業して、スポーツクラブやベースボールスクールでインストラクターのアルバイトをしながら、大阪のチームに所属して硬式野球をしています」
いろいろと話をする中で、何気なく彼女がそう言いました。世界一のピッチャーが、アルバイトをしながらでなければ、野球ができていないという現実を知り、正直、私は驚きました。
「……野球は、趣味になるんでしょうか」
「……そうですね。世間的に言うと趣味でしょう」
「ソフトボールであれば、有利な就職があったのでは?」
「ソフトボールももちろん好きですが、野球以上の情熱は感じられませんでした」
彼女は、小学生の終わりごろから硬式野球をはじめたものの、中学に上がるとき「女子だから」という理由で受け入れてもらえませんでした。
彼女の周りには、女子が野球をする環境がなかったのです。
「やっぱり、環境は大きいですよね。今は、晴れた日には河川敷で、雨の日は高架下で練習していると聞きましたが、グラウンドを借りたりはできないんですか?」
「チームのメンバーのほとんどがアルバイトで生活しているので、試合以外にグラウンドを借りる余裕はないんですよ。でも、野球がしたくて自分から望んだ生活なので、河川敷でも、高架下でも、場所があるだけありがたいと思っています」
彼女は欠片も後悔や辛さを感じさせない、凜とした声で答えます。
「そこまで苦労して野球を続ける理由ってなんですか?」
「好きだから。それだけだと思います」
即答でした。
本気なんだな、と感じました。
#3 強力な助っ人
女子野球をもっと応援してもらうためには、男子野球界にも理解者がいてくれる必要があると私は考えていました。
そこで、是非とも応援をお願いしたい、と思ったのが太田幸司さんです。
太田さんは1969年、夏の甲子園大会の決勝戦で、伝説と言われている「延長18回再試合」という名勝負を繰り広げた選手で、その端正な顔立ちから「元祖甲子園のアイドル」とも呼ばれた人です。近鉄バファローズで12年、読売ジャイアンツ、阪神タイガースで1年ずつ、計14年間プロ野球でも活躍し、引退後は関西を中心に解説者やスポーツキャスターとして活躍していました。
片桐さんの力を借りて、なんとか太田さんとの面会のチャンスを得た私は、女子硬式野球の魅力と女子プロ野球に懸ける想いを伝えました。
「いやぁ、世の中にこんなに野球好きの社長さんがいらっしゃるとは思わなかった!
私にできることがあれば、前向きに考えたい」
太田さんの前向きな姿勢に私は、
「実は近々、第5回全日本女子硬式野球選手権大会があります。観に行きませんか」
とお誘いをしました。
2009年夏。
全国から27チームが愛媛県松山市に集まり、5日間で35 試合が行われました。この大会に一緒に行った太田さんは全てを観終わりこう言ってくれました。
「いや……しかし……こいつは驚いた……。これほどのレベルとは。正直言って、私は女子野球を遊びの延長だと思っていました。遊びであっても野球を愛してくれるのであればそれでもいい。でも」
太田さんは語気を強めました。
「彼女たちは違った。彼女たちは正真正銘のアスリートです。遊びであのプレーはできない。ひたむきに野球と向き合ってきた野球人同士の真剣勝負です。わかりました、⻆谷さん。私もあなたのように彼女たちの力になりたい。日本女子プロ野球リーグのスーパーバイザー、正式に、お引き受けいたします」
#4 10年目の覚悟
9年間で収支が黒字化した年はありません。
経理の担当者からは毎年厳しい意見を貰っていましたが、年々その声が大きくなってきていました。10年目を迎えるにあたり、いよいよ後はないぞ、という様子で、「いつかは、いつかはと言っているのですが、いつ改善するんですか?」
「毎年赤字にも関わらずどうして女子プロ野球選手は給料が年々上がっているんですか?」
「20代後半で年収740万円とか980万円とか、少なくても350万円ですよね?同年代平均以上の年収があるのに、なぜ食費込みの家賃補助が必要なのですか?」
「実質8ヵ月しか働いていませんよね? 選手はシーズンじゃない4ヶ月は何をしているんですか? 少しでも売上に貢献しているんですか? トレーニングでお金は貰えませんよ?」
「なんで選手への報奨金が合計1800万円もあるのですか?」
「現場はお金が無限にでると思っていませんか? 今年はどんな経営計画を立てているんですか?」
「メディアから散々に言われることもありますが、どう対処するのですか?」
と言ってきました。
厳しい意見でしたが、そこに悪意や、女子野球そのものへのバッシングはありません。純粋に、女子野球の将来を思っての意見です。それがわかるだけに、心に刺さりました。
新規参入を検討する企業からも「わかさ生活が選手に対して保障している条件のハードルは高い」と言われることもありました。彼も同じことを考えていたのでしょう。
私としても、そろそろこの問題に結論をださなければいけないと思っていました。
2009年、選手たちに伝えた、
「10年以内に1000万円プレーヤーが生まれるように、私たちも頑張るから。みんなも、野球に、女子硬式野球の発展に、力を注いでほしい!」
という言葉。
祖母の教えである「何かはじめたら10年は続ける」という信念。
そして、累計赤字が100億円。
私の中でさまざまな数字が符合するようにピタっと揃いました。
私はすぐに彦惣理事長に話をしました。
「これまで彦惣くんに全て任せていたけど、来季は区切りの10年になる。来季は、私がマネジメントをやらせてもらう」